HOME > ドクター阿部のBLOG > 私的COLUMN > 25周年記念の感謝の式典(3)三國清三シェフとの対談_その1

ドクター阿部のブログ

25周年記念の感謝の式典(3)三國清三シェフとの対談_その1

2013/11/06【私的COLUMN】

25周年式典で最も好評だったイベントのひとつは、フランス料理の世界的シェフ、三國清三さんとの対談でした。非常に個性の強い方で、おもしろいエピソードも次々と披露され、会場も大いに湧き立ちました。

 

対談_415.jpg

 

彼は北海道の増毛という漁村に育ち、シェフを志して札幌のグランドホテルに入りました。そこのシェフに推薦を受けて、帝国ホテルの村上信夫料理長に師事。その村上シェフの紹介によって、駐スイス日本大使館の料理長に就任されています。 
その後、欧州に渡り、フランス料理界で有名な「ジラルデ」のフレディ・ジラルデの元で修行、さらに三ツ星レストランの「トロワグロ」、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス、アラン・シャペル」など、そうそうたるレストランでシェフを務めあげ、帰国してから東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業しました。

 

これだけ見れば、立派なサクセスストーリーです。
しかし、それは三國シェフが人一倍努力をし、自ら運命を切り拓いてきたからこそ成し遂げることができたという事実を忘れてはなりません。


彼は北海道の貧しい漁村で育ちました。シェフの道を選んだのは、「食いっぱぐれのない仕事」だったからだそうです。札幌グランドホテルは通常中卒を採用しませんが、なんとか頼み込んで皿洗いとして入り込んだのだとか。帝国ホテルでは下回りの仕事を進んでやり、村上シェフ個人の仕事をアシスタントし、辞める前には足跡を残したいとホテル中の鍋をピカピカに磨いたと言います。それでも一度も料理を作る機会は来ないまま。そんな彼の努力を見ていた村上料理長が、見所があると見込んでスイス大使館に推薦したのでしょう。

 

そういう意味では、私と境遇がよく似ているのです。

私も小さい頃は山育ちで、貧しいけれども自然の中でのびのび育ってきました。貧しさ中で、なにくそ、という根性をはぐくんできたものです。大学には入っても貧乏学生で、苦労しながら医学を修め、九段クリニックを開業してからも苦労の連続でした。

育った環境や考え方、物事のとらえ方がとてもよく似ているな、と対談しながら思っていたものです。逆境を嘆くだけでは成長しない。逆境を前向きにとらえる、そういう三國シェフのお話に、私も深く感銘するものがありました。お客さんたちも同じ思いだったでしょう。

 

 (続く)

 



ページトップ

"
Copyright KUDAN