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人と人との交流が国際交流の第一歩

2012/08/16【私的COLUMN】

国際交流といっても、基本的には人と人との交流が第一歩です。
人と人との交流を積み重ねていって、結果的に大きな成果となるものです。
 
私が最初に渡米したのは1970年初頭でした。
通常は1、2年間で1本の論文を書けば優秀な研究者だといわれたのですが、
私は当時1年間に5本書きました。
そのうち3本は有名な雑誌に掲載されました。
すると、アベというのがやり手らしいぞ、と口コミで広がっていきました。

論文と並行して向こうの医師国家資格を取り、アメリカの臨床医になりました。

臨床医になってからは、心臓手術の臨床研究に取り組むべく、
さらに積極的に名のある病院や先生にアプローチしていきました。

最初に臨床フェローを勤めたペンシルバニア大学フィラデルフィア小児病院では、
小児内科部門にバルーンによる心房中隔裂開法を開発していたラシュキンド教授がいて、
日本で未だ成功しない手術を目の当たりで見ることが出来ました。
また、大血管転換症という生まれつきの難病に対する大変難しい小児心臓手術-マスタード手術で
世界的権威のエイン・アバディーン教授に、手術法を直々に伝授してもらいました。

さらにクリーブランドクリニックのメイソン・ソーンズという先生が冠動脈造影技術に成功したと聞いて、
これだ!とソーンズ先生のところに飛び込んでいきました。

    それまでは虚血性心臓病というのはアメリカでは非常に多いものの、
    クスリでしか治療ができませんでした。造影によりどこが悪いかわかるようになったことで、
    はじめてバイパス手術ができるようになったんです。
    ソーンズ先生は、その後ノーベル賞候補とも言われた方です。
    賞をもらってもよかったのでは…と思うんですけどね。
 
    ソーンズ先生との面談では、3つの約束守れたら採用すると言われました。
    1/絶対にうそを言うな、2/今日の仕事は今日中に終われ、3/絶対けんかするな。
    私はたやすいことと思って二つ返事をしたのですが、実際にその約束を果たすのは至難の業でした。
    1や3はいいとして、2の仕事量がものすごく多い。カテーテル検査1日に10件こなし、
    検査結果を全部レポートにして検査を依頼した先生に返事を出し、患者を呼んで説明して、
    外科的に適応があれば外科の先生も呼んで、その場で手術をするかどうかまで決定する。
    日本の何十倍の量でした。病棟になると1日40~60人を一人で担当します。
    日本では信じられないでしょうが、それを完璧にこなす技も、トレーニングの中で学びました。
 

スタンフォード大学の放射線科では多くの天才的教授にお世話になりました。
その内の一人ブロディ教授は現在のMRIを手作りするような方でした。
コイルを巻いて磁場で絵ができる理論を教えてもらったり、
1枚のレントゲン写真をデジタル処理することで、
骨だけの写真にしたり内臓だけの写真にしたりする技術を
現場で教えてもらったりもしました。GEと共同研究で普及型のMRI装置の実験中でした。
世の中には本当に天才と呼ばれる人がるのだな、スタンフォード大学は凄いところなんだと
身を持って感じました。

PTCAという新しい技術は、開発者であるグルンティック先生を超える、新しいカテーテルを考案した
シンプソン教授に指導を受けました。まだ開発中にもかかわらず、
カテーテル作りの現場や、普通は見せないものを見せてもらったりもしました。
これがACS社から発売されることになり、
一緒に開発に参加させていただくという幸運な経験もさせていただきました。
 
私は、自ら手紙を書き、自分から志願して、アメリカでもトップクラスの先生方と交流してきました。
人間的にもまれて、どうやったら受け入れられるかを身につけてきました。
ただ、向こうに行くだけでは、学べるものは少ない。
現場に出て、積極的に携わり、実績を作り、人脈を広げて初めて国際交流がはじまるのだと思います。



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